効率?

単位時間当たりどれだけのお仕事が出来たかというのは、どれだけ新しい知見を、その人でなければ生み出せないことを生産したかということであって、どれだけエクセルシートに数字を打ち込んだかということではない。仕事の効率がと叫ぶ方が多くいらっしゃいますが、要するにそれ、作業効率でしょ。そんなもん、自動化したら「あなたはいらない」という時代が他国では当たり前になっているのに、「新規作業を覚えるのが面倒だから、古い仕事をさせ続けて欲しい」って、そんな時代では無い。

でも新しいお仕事をスタートさせるって簡単では無い。見かける方式として特別チームを作ってそこに原案を作らせて、上の人がそれを評価して進めるってやり方なんだけど、この上の人の意見が曲者で、上の人が理解できる事しかやらさないというのがこの国の有り様ですからね。若者の意見は踏みつぶして、理解できないものは排除していく旧態依然国家。まぁ、最近では自分に無いものは、完成品を会社ごと買ってしまうのが近道という風潮もあるしね。これは世界的なことだけど。

徹底的に良いものを作るって、使われる人・環境をイメージして作り込んでいくのだけれど、カスタマイズし過ぎると1個しか売れないなんてことになるかもしれない。それでは商売にはならないからね。注文家具なんかはそうなのだけど、それなりの金額を払えるのであればそれが理想であるのは間違いない。長持ちする家を建てるには、四季を経験させないといけないということで、1年以上掛けたりするものね。当然の事ながらそれなりの金額にはなってしまう。そのそれなりの金額を支払うことが重要であると思っている。直ぐに壊れて買い替えるという思考を変えねばならないと思っている。

何でもかんでも効率向上と、お上は迫ってくる。論文生産の効率を上げろとかね。一方で、研究成果を社会実装させろとかね。お企業様も、ゼロ円で大学から知恵を持って行こうとするとかね、酷い事になっている。じっくり構えて世界に遅れを取れとは言わないけれど、教育の質、レベル感、人的育成をそれこそ生まれる前から考える部局があって、50年計画で国の根幹を考えていかないといけない。そう思うのだ。それは急務で待ったなしの筈なのだが、ガソリンに補助金を出そうとか、目先の事だけ考えているこの国。このままでは滅びるね。