確率論考

日本人で抽象論でお話をさせて頂ける方って滅多に出会えない。それが現れたからとっても嬉しくなった。ほんの1時間未満のWeb討論だったのですが、実に心地良く、まだまだ頑張らなければと思った次第。いやぁ、心の中まで灼熱になりましたな。何と心地良い事でしょう。感性を骨格に価値観があるわけだが、それらのレベルで対話できることの、何と素晴らしいことか。明日もそんな出会いがあると良いなと、本当にそう思うのだ。

意思の疎通と簡単に言うのだが、デジタルの世界の方は、曖昧さを許さない訳だが、それはそれで会話は成立するが、確率論が許されない会話には判断しか無く、まぁ、それはそれで簡単なのだけど、虚しさしか残らない。メール会議で良かったのではと思う。対面であるのであれば、それなりの討論となって欲しいが、1か0のどちらだと迫られて判断するだけなら、言った、言わないの後出しジャンケンも含めてメール審議が良い。

我が国の政権を見ていると、日本人がデジタル会話しか受け付けないことを巧みに使っていて上手だなと思う。外から国境が破られる。だから防衛費を上げねばならぬと、妙な強迫観念と共に、正義感を振り翳して、憲法改正を正当化する。地球上において、平和はない事は証明されたのだが、防衛費増だけがその解決策の如くの与野党共闘の、何と単細胞な事か。抽象的な表現にならざるを得ない長期展望などは俎上に上がらないのだ。

抽象的な表現に対して、自らの価値観に合致するか否かを判断することのトレーニングを積んでいないから、1か0かのどちらかだと言っている人に付き従うのだ。定量的が好きならば、我が国がどれだけ隣国に資金援助をしてきたか、それを国民に知らしめ、現状の外交の情けなさを、マスコミは為すべきだが、弱いものいじめしか出来ない国だからね。それすら情報として得られない。神様はサイコロを振るのだ。そう思う。