笑顔を疑わないよ

先週、某所に出掛けたら、同じ思いを持った人達が「やぁ!」とお声掛けを頂き、これが生きているってことかなって。昨日も某所で妙なことがあって、帰りの地下鉄で「おいおい」ってことがあって。段々、隠れられなくなってきて、困っちゃったな。それはどうでも良いのだけれど、毎日を必死に、それが誰かのためにと思っていると、自らの命のすり減りは、まぁ、当然なんだけど、それよりも他の人の笑顔が見たくなるね。それが自らの他律機能だ。

解らない。何が?そう、命というか、人生というか、時代というか。何故、同じ時間軸に命を頂いたのか?爆弾雨降る時代を過ごさざるを得なかった方々が世界で大勢いらっしゃるのだ。つい、この間までコロナ禍で、在宅が許されたのに、今は許されないとかね、それは理不尽だとは思うけど、そんなどころではなかったのだとは、そうだろうとは理解しようとするのだが、この頭上に爆弾が落ちた事が無いから、政治家諸氏同様、脱兎の如く、恐怖から逃げるという経験がない。色々言う人は居る。でも爆弾では無いのだ。

小生の父親までが零戦乗りだったわけで、その後の皆さんは「戦争知らない子供達」なのだ。終戦記念日に生まれたと威張った方がいらっしゃったが、結局のところ、その方の頭上には爆弾は落ちなかったのですよね。火薬というのは発火と共に周辺の気体を圧縮させ、そしてそれが解放される時、とてつも無い衝撃波を生命体に及ぼす。整体組織の破壊という奴だ。聞いただけだけれど、肉親に語り部が居るか居ないか、えらい差だ。

人の命を救いそうな、医工学連携などを考えているのだが、ナノラボを切削とプレスでじゃんじゃか作って、細菌兵器とか、そんなもんの増産に使われないのだろうなとかね、弱気になって考えたりしますよ。もう、とっくにやられているのかもしれないけど、新しい薬を作るとかね、殺人に使われなければ、工学って、やっぱり素敵ですよ。笑顔になるもん。そんな工学を発掘して、社会にお届けさせて頂きたい、お招き頂きたい。素直に思います。と思っていたけど、コロナ禍、増えてきたね。そんなもんか。