彼岸過ぎまで

お盆のネタもそろそろお仕舞にしないと、ご先祖様が化けて出そうなので、ちょこっと毛色の違うお話。以前、DXって意識の改革ですよと言うお話をさせて頂いた。鶴舞大学は天下に名高いDX化されていない事務局を抱えている。逆に言うと、改善出来るところがわんさかあるということだ。親方から一気に変えないと効果が低そうだからやらないということかもしれないが、後付けでちょこちょことということでは効果は低い。

この効果が低いという積分を尊ぶ文化が改善活動ということなのだと思っている。部分最適の究極。結局、データ活用と言っても、社内に閉じていたりね。サプライチェーン云々言う割には、紙の伝票でやりとりしているとかね。ネットワークとかセンサとか、そんなツールを導入する事では無くて、データをどのように収集してそれを利益に反映させるかを根本的に換えていくことがDXなのに、後付けセンサで満足しちゃう。やらないよりはましなんだけど、世界との差は開くばかりだね。

自社独自の手法でやってますと、それはそれで自社での開発能力を高めていく活動で素晴らしい。ただ、それが、川下企業に伝わって、価値として活用される仕組みにしていかないと、利益増大に繋がらない。利益に繋がらないのであれば、それは止めた方が良い活動だ。負の効果を生んでいる状況があるとするならば、直ちにそれはカットするべきなのだ。その根本はどこにあるのか、直ちに退所するべきなのだ。

経験から得た勘と度胸で乗り切れてきた時代は過ぎ去った。データを元に最適解をたたき出し、そこに向かって全体最適を目指さねばならぬ。教育もそうなのだが、なかなか変えていけない。コロナ禍は物凄いチャンスだったのに、対面を望んでいるからと、どこからそんな統計データが出てきたのかも分からずに、親方が対面指導をしてくる。その時の大親方はどこぞの団体との関係で叩かれているけどね。まぁ、カンコツなんてものは彼岸の向こうに渡して上げないといけないのではないか。そんな時代である。