博士人材に思う

我が国においては、学べば学ぶほど企業においては価値を下げられる。頭でっかちで専門バカは活用できないと、研究などに打ち込んだことの無い方々に使えないレッテルを貼られて久しい。最近、本当にごく最近だが、失われた30年において、博士取得者が社会弱者となって、冷遇されているだのが何故か新聞等で話題になってきている。経済成長を進めるためには博士人材の能力の活用が欠かせないとか、もっと重用しようとか、散々冷遇してきたくせに、都合が良い事甚だしい。

小生はガマの油地域に居たので、あの博士人口密度日本一の団地に住んでいたから、なんかずっと当たり前に過ごしてきたのだが、企業の皆様も博士持ちが周りに沢山いらっしゃるのだが、考えてみれば一部の大企業の研究職の皆様で、研究部門や自社開発の商品製造部門が無いお会社では、いらっしゃらないのが普通かもしれない。そもそも我が国では博士号所有者が少ないので、出会う確率も低いのは事実だ。

イノベーション創出を博士人材にって期待しているところが見受けられるのだが、それはちょっと考えようだ。勿論、正しい一面もあるなと思う。それは「何が何でも」という根性においては、博士人材には一目を置いて頂いても良いかと思う。今であればインフォマティクスと絡めて、高速アジャイルで狂ったように目的に向かう馬力、壁をぶち破る思考は捨てたものではない。新規なアイデアもその中で勝手に産みだしたりするからね。

ただ、社会的サービスを創り出せとか言っちゃうと、それをこなせるかどうかは別問題だ。猫とはさみは使いようで、博士人材も使いどころを間違ってはいけない。ただ、先に企業に就職した学卒者の方が渉外年収が高いとかね、研究者をリスペクト出来ない企業は雇用は控えて頂きたい。基礎研究は我が国では冷遇されるが、基礎があるから応用があるのだ。正しい基礎を作り上げる者を大切にしない国は、教育レベルも後退する。基礎を固めるから応用が出来るのだ。教育も最先端の基礎研究を基準にしなければならぬ。その関係性を無視して、博士人材を語ってはならない。我が国の政治家に博士取得者が不在過ぎる。そんなところから考え直さねば、博士人材で国を富ませるなど出来るはずが無いのだ。