学びなさい

博士人材のお話をさせて頂いたのだが、経験上、持っている博士号が役に立ったのは大学に就職する時だけで、後は持っていて当たり前の社会だし、何の役にも立たなかったというのが正直なところだ。そうかと言って、博士課程学生生活が無駄だったということではない。一方で、Job型雇用が当たり前の世の中になって、リスキリングの講座等で何か新しいスキルを身に着けて新たな挑戦なんて時には、きっと役に立つと思っている。集中力と粘り強さは必ず役に立つ。これは断言できる。

時々見かけるギフテッドというものだって、どんどん飛び級でその力を伸ばして上げれば良い。同じ年齢層の人達と全てが同じ指標で評価されるなどと言う陳腐な世界観は願い下げだ。人は違わなければならないのだ。同じ人間が居て何が嬉しいのだ。何と愚かな考え方か。違うから必要なのだし、違うから新しいものが生まれるのだ。新しければ良いという事ではないが、同じ思考の組織だったら、結局一人しか居ないのと同じことでしょ。ダイバーシティ0ということになる。そんなつまらない組織は要らない。

要らないのに、同じルールで同じレールに乗せるために、生まれた時から同色に染めようとする我が国なのだが、恐らくなんだけど、政治家諸氏は自分達より国民を愚かにしておかないと恐ろしいのかななんて思ったりすることがある。優秀な政治家だなと思っていると、いつの間にか端っこに追いやられて消えて行っちゃうしね。失言だけの大臣諸氏には辟易するし、そんな人を選んだ選挙民も同罪にすれば良いのになと思ったりもする。選んだらおしまいでは無いのだ。無責任な投票が宗教と政治の密着みたいなことを発生させる。

学ぶ機会は何処にでもある。学ぶきっかけだって凄まじく有る筈だ、ぼぉ~っと地下鉄に乗って、会社に行って言われたことをやって、そのまま帰宅して寝るなんて人生観は、そもそも間違っているのだ。死ぬまで勉強をし続けないといけないし、努力は継続しなければならない。何か言い訳を見つけて学びを諦めるのは簡単だが、ほんの数日、数カ月と言っていると、あぁ、学ばなかったな、あの時こうしておけばって必ず後悔となってやってくるが、それはもう体にガタが来て学びの感謝を還元できなくなった時だ。出来ないのはやらないからである。当たり前のことだ。