お仕事とは

元来、仕事と言うものは自ら創るもので与えらえるものではない。これは好き勝手なことをやれば良いのだということでは決してない。自らの好みで組織のベクトルと相いれない行動をしても良いというお墨付きでは決してない。一つは、あれやこれや手ほどきを受けながら、誰かのコピーになるなと言うこと。もう一つは、基本的に仕事の指示(作業にあらず)は、指示者ですら真のゴールは見えていないのだから、組織として最善と思われる未来を作り出せと言うことだ。勿論、後者の意味が大きい。

とすると、当然のことながら、指示者待ちであってはならず、先手先手と上司に働きかけて、上司の思考を越えるものを創造するべきだ。企業であればコストも当然その思考に入るべきだが、講義の内容などにおいては上限は無いわけだから、徹底的に先回りをして受け手の喜びが最大化するように行動するべきだ。受け身になるなど、もっての他である。

仕事は大きければ大きい程宜しい。組織が転覆するかもしれない時には、進んでその仕事を勝ち取らねばならぬ。失敗したらどうしようと尻込みする者はまだしも、最初から他人であることを決め込む輩のなんと多いことか。大きな仕事は失敗が常。失敗するから組織も、そして挑戦した者も浮かばれるのだ。成功などは有り得ないのだ。成功したなと思う仕事は、所詮、小さな仕事であったのだ。身の程を知ることだ。どんなに大きくても、君の目の中に入ってきた程度の大きさなのだ。それは小さいに決まっている。

生きることは実に辛い。難しいことばかりである。困難ばかりの人生であるのだから、仕事においても垂直に無限にそそり立つ壁に向かって行かねばならぬ。どうしようもなく、もう、絶望以外に思考は巡らず、それでも全身をその壁に打ち付けていくことで成長がある。選択肢は困難でなければならない。真実に基づく信念から発せられる己の気迫のみが、他に納得の二文字を腑落ちさせるのだ。祖父の遺言を見ていて、改めてそう思った。