クリエイティブ

当然の事なのだが、単純労働は消えていかねばならない。ものづくり現場ではロボットが働きまくり、人はその監視役となって久しい。その監視もAIの導入で、異常の事前検知が進み、人が関わることがどんどんと減っていっている。そこで重要なのが、人はクリエイティブなことに時間を使っていますかということ。研究フィールドにおいても、どんどんと自動化が進み、その結果をAIが解析し、相関関係を洗い出し、目指すべき組み合わせを決めていく。それが研究者の成果と本当に言えるのか?

AI頼みを悪いというわけでは無い。先人の論文を拝読させて頂き、学び、気付かせて頂き、自らの研究の参考にさせて頂いてきたわけだし、35年も前の稚拙な論文を引用して頂くに付け、こんなに古いのになぁと、見返してみると、手前みそだが創意工夫しか無い。今ではAIがその手法まで予測して勝手にやっちゃうのかもしれないけどね。日本からのトップジャーナルの掲載数が減っているというのは、小生のような愚直な研究のやり方をやってきた化石人種が残っているからではなかろうか。研究の場にもっとAIを導入して、上位の論文誌への掲載を目指したら如何か。

と、冗談半分なのだが、実際のところ、経験と勘が頼りの分野であっても、AI導入は必須であろう。思い起こせばパラメータを見出し、それを動かし、その相関関係、因果関係を考え、推測したことを結論として投稿するのだ。人間がやっていることはAIがやっていることと変わらなかったのだ。一つ言えることはどのようにやるということはAIが代行するが、何をやるということについては人が考えてきたことで、そこにクリエイティビティを求めてきたし、自己満足かもしれないけれど、人間らしかったのではないかと思っている。

DXとは言うけれど、未だ、人の時間を平気で奪う行動が推奨されている。会議で民主的に決めましょうと言う奴だ。世界の潮流がこうだから、遅れている我々はこう変えていきましょうなどは、民主的に決めずとも、そうなのだからそうしましょうで終わりであるはずだ。それを民意を無視したやり方だなどと突き上げられてもね。他人のクリエイティブな時間を奪う、無意識の民主化はもう止めにしないといけない。それがDXの本質だ。自らの無意識な行動を刮目せねばならぬ。