定量的思考たれ

予算をどのように活用していくか。使ったことによって組織が強くなって、所謂「粗利」を稼げたらベストなのだが、組織のミッションを完璧にこなせたら、それはそれで良しとするべきだろう。しかしながら、きちんと現状を定量的に分析して、その定量値からどんな項目をどんな風に変化させると、こうなることが期待できるからと、どれだけ予算をつぎ込むかも検討できる。取捨選択の根拠も定量的でなければならぬ。Whyに対して定量的に応えねばならぬ。勿論、理不尽な者に返答する必要は無い。

この定量的な議論と言うことに日本人は慣れていない。感性で熱く語って頂けるのは良いのだが「で、なんで?」と聞き返さざるを得ない場面がかなり多い。「こうした方が良いと思うのですが?」とかね。だったらやれば良いだけでしょ。お金は出さないけどねと、そんな無駄なことに時間を掛けたくも無い。社会で流行っているリスキリングという単語だって、日本がこれだけ置いてきぼりをくっているからみんなちゃんと学び直しや新たなスキル獲得に挑戦しなさいくらいに首相が言わないと、結局、誰も本気にならない。

リスキリング講座を主宰してみて感じるのだけれど、あれも教えろ、これも教えろと、自ら考えようとしない。そんな輩にはリスキルなんて無理で、リカレントも無理だろうと実感している。自分の言葉で語れない人には学びも無理だなと感じ始めている。その要因は何処にあるのか?勝手な想像だけれども、幼少の頃から何でも与えられて、問題が与えられればそれを解くスキルはあるけれど、自ら問題を設定して楽しむことが出来ない。パターンを覚えてクリアし続ける人生。何が楽しいのか?

こうしたい、ああしたいということは有るのだけれど、先立つものが必要で、都合よくお足は降ってこないから、自ら稼ぐことになる。稼ぐにしても、自らの能力を高め続けて、それが出来なくなったらそこに存在してはいけないのだろう。やらなければならないことが沢山あり過ぎて、それは本当に目が回るのだが、一つ一つ丁寧に分析して、何故なのだろうを問い続けねばならぬ。それが人間なのだろうと思うのだが、充たされた種族と生きている空間が違うなと感じている。これが時代と言う事なのか?定かでない。