幸せ観

日本人の幸せ感を調査したそうで、まぁ、なるほどなと思った次第。「他の人の役に立てているから幸せ」という趣旨の回答が最も多かったとの事。人対人の関係が丸く収まっていると、幸せを感じるらしい。孤立無援になっていると、それは不幸という判断になって、最悪の場合に至ることも考えられるとのこと。40歳以上の回答らしいから、全世代に回答を求めると異なるのかもしれませんが、解るような解らないような。

山に籠って深山幽谷、朝露に濡れたギンリョウソウや、渓谷のざわめき、鳥のさえずり、夕刻に輝きだす星の瞬きに幸せを感じ、孤独であることの有難さを感じるのは、どうも主流では無いらしい。昨日に、今年初めて通勤途上において、自動車販売会社の屋外駐車場に停められた乗用車の窓ガラスが真っ白に凍り付き、吹く風が頬を射抜く感覚に、冬という季節は必ずやってくるものだなと、灼熱の夏からの差異を実感し、梅のつぼみが白く顔を出していることの、なんと健気な事と感じ入っているようでは、一般的な反応では無いようだ。

ビジネスにおいては、買って頂かないといけないわけだから、購入者が、如何に現状との差異を大きくして頂けるのかという点に傾注するわけで、言ってみれば他人の幸せこそ、自らの幸せと結び付けられるのは至極当然なのだが、自らが関わった誰かが幸せになっていないといけないということを根本的に求められてしまうと、自ららしさというか、何故、自分は生きているのかという根本的なところを否定されているのかと思ってしまう。

そりゃぁ、組織の発展を願って起案しますよ、それは当然の事。お役目として必然であり、それが結果的に今までより良くなったと言って頂けたら嬉しいに決まっている。しかし、組織的対応というものは、変わらないほうが良かったと思う人も必ず居て、全ての人に喜んで頂かないと起案出来ないという判断力では組織は立ち行かなくなる。嫌われ疎まれることは覚悟の上の決断であって、それは組織人なら当たり前。他の人の役に立てていなければ不幸と思い詰めてしまうと、生きようが無いと思ってしまう。自らの信念において、自らは幸せと思って何が悪いと開き直りたくなった私であります。