リスキリングの根っこ

リスキリングって自らの人的資本の価値を生涯にわたって高め続けるための手法だと思うのだけれども、日本の多くの企業にとっては、社員が脱走してしまう事を防ぎたかったり、部下が自分より知識が濃くなってしまうことを恐れて、それをさせない風潮があるらしい。あるらしいなどといい加減な言い方になっているのは、まだ、1事例しか具体的な事例に出会っていないからだが、恐らく、多くあるのではないかと推測している。

例えば小生が顧客関係性と使う時には、顧客が他者にどれだけ利益をもたらすかにどのように貢献しているかということを意味するのだが、一般的には大福帳に記載された内容だけであって、それを管理するシステムを導入することがDXの第一歩となるらしい。何と体たらくであることか。週末のMBAとか、なんとかコンサルとかが横行するわけだなと思う。何の知恵も経験も技術も要らない。要らないから低次元の学びとなり、時代の進化をリードしない。お互いに傷をなめ合うのが我が国の人材育成らしい。

何もAI分析スキルを身に着けることをディスっているのではない。そんなスキル獲得が日経のトップに出てくることすらおぞましい現状である。お隣の国では10年も前から初等教育において実践されている内容が、今、漸く、我が国において特定の企業が実践しますよと言うことが話題になってしまうのだ。初等教育において何故、出来ないのか?教師がそのスキルを持っていないというだけでは無かろう。「さいたさいた桜がさいた」という美しさに麻痺して、世界の進化を見ようとして来なかったからだろう。

そうかと思うと「大学は改革の最後のチャンスの時期ですよ」と本社は仰る。何故、国が高等教育機関に税金を投入しているのか説明が出来ないような大学は消えなさいと言うことだ。それは正しい。仰ること、ごもっとも。小生もそれは思う。世界に対して良質な論文を提供しなければならないわけだが、それでは企業はその知恵を活用するように挑戦しているのか?大学の頑張りを「関係ない」と思っているところが大いにある。大学だけの責任ではないぞ。だからスタートアップ&ベンチャーなのだなと思う。