明日をどう生きるか?

定年退職時期が見えてくると、様々なお誘いが掛かってくるようだ。耳に入った一つに「退職後に、自分が本当にやりたかった事業を興して儲けさせてあげよう」という、まぁ、ねずみ講の親戚みたいな起業塾がある。これが本当にいやらしいのだが、それに参加してしまう方がそこそこいらっしゃるらしいのだ。本当にやりたかったことで数億円を儲けましょうという、それが出来れば誰も苦労はしないわけだが、あるだけましの退職金を突っ込んでしまって、熟年離婚の種にもなっているらしい。

観光で生きられなければ自ら起業しろと言う首相の掛け声も効いているのかどうかはしらないが、どうして引っかかってしまうのかと不思議で仕方が無い。そもそも「儲ける」には必要とされる事柄に対して、ライバルと成りえる者よりも圧倒的に上位のアウトプットを出せる必要があるし、「儲け続ける」にはそれを更に発展させ続けないといけないわけだ。いきなり天然素材の化粧品なんかを作って売りたいなどと思っても、まぁ、趣味で自分使いが関の山だからね。

教師をやっていた方が、その教育ノウハウを活かして学習私塾を立ち上げるというのもあるらしいのだが、期末テストで高得点を稼ぎだす術はあるのかもしれないが、社会が求める教育の有り様がどんどん変化していっている今、定年退職された教師の皆さんが小学生を相手に問題を解くトレーニングをするのはどうなんでしょうね。もう、お若い方々に任せておいたらよかろうとも思うのだ。そもそも、それって本当にやりたかったことなの?単に、今、出来ることなんじゃないのと、塾経営の虎の巻に退職金を突っ込まされて路頭に迷っちゃうのだろうなぁと他人事なのだが心配になってしまう。

本当の自分探しって、まぁ、禅修行の目さすところであるわけだけど、それに行きつけた人は幸せだと思う。名人上手と呼ばれる人達は、やりたかったと言うよりもやるべきことにひたすら打ち込み、艱難辛苦の後、正に、艱難汝を玉にすを具現化されたことを考えると、定年退職金を自己投資で増やしましょうなんてカタログ文句に引っかかる暢気な思考で明日が切り開かれるはずはない。自ら学び続け、常に厳しく自らを見つめ、尤も精緻なスキルを活かすところを見いだせれば、それに挑戦するのは悪くはない。しかし、それは自らの人材育成が必要なのであって、外部コンサルによって達成できるものではない。安直な成功は有り得ない。当たり前だ。