元素

EVに限ったことでは無いが、産業というか、経済活動と言うか、ゲームチェンジと言うか、天然資源が大きくものを言っている。一般民間人の皆様は興味すら持たなかったと思うのだが、ガラスの研磨に使われるセリウムを大国が輸出しないよと言っただけで、バックヤードは大騒動になった。その代替をどうするのか、元素無しで要求される製品が出来るのかと、てんやわんやであった。結局のところ技術的にそれをカバーしてしまって、セリウムの価格が暴落したことによって、ガラス研磨に対する元素戦争は終焉を迎えた。

元素は地表を均質に覆ってるわけではなく、水溶性化合物の状態で地表から流れて湖の底に沈んでいるかもしれない。地下水資源がリッチで、天からの雨の恵みが豊かな土地においては海に流れて、かなり限られた資源のみが採掘コストに見合う状態とはなっていない。銀などは稀な元素であったが、掘り尽くして枯渇状態だ。話が逸れたが、EVの登場によって様々な元素の大量消費が始まっている。元素が単独で出てくることは無く、生命に有害な形で出てくることもある。

するとそれを産業的に活用できるように抽出していくためには、それなりのエネルギーが必要で、そのエネルギーはそれが活用されて省エネルギー効果をもたらすよりも多くのエネルギーだったりする場合もある。イタイイタイ病や水俣病を忘れてはならず、その反省において、次世代の社会をイメージしていかないと、繰り返される歴史となってしまう。電池の材料としてもっとも期待されているのはリチウムだが、決してそれだけではない。

見上げれば電柱を繋いでいる電線は銅で出来ていて、その銅も、今の調子で採掘を続けていくと、リサイクルを含めても、10年程度でEV社会を満足させることは出来なくなってくるというお話もある。あくまでも言われているということではあるが、地球上の資源が無限にあるはずもなく、高度テクノロジーを元素の機能に頼っている時代は終焉を迎えるだろう。それが明日たというわけではないが、方向性を大転換する時に到達しているのではなかろうか。そう感じる。