風まかせ

風まかせのこんにゃく塗布の風船爆弾を思い出す。思い出すと言っても、その当時を見ていたわけでは無いのだが。そんなきな臭い風船が、この時代においてもあるのだなと、ニュースを見ていて思う次第だ。米国からすれば先の大戦中に日本からこんにゃく風船爆弾を送り付けられた経験があるのだから、警戒するのは当然である。それを知らずに某国が偏西風に載せたのであれば、それはそれで軽率と言うものだろう。

余りにもややこしい話に首を突っ込むつもりはない。アラスカ上空から入ってカナダを横断して、大陸を横断させてから内落とすというのも妙な話だなと思ったりする。近代技術だと、風船も容易に地球を一周できそうだなと、恐らく、ヘリウム充填なのでしょうけれど、気密性は大したものだなと。ジェット機の機影との比較しか出来ないけれど、かなり巨大な風船だから、それなりの観測機器も搭載できたでしょう。撃ち落とすよりひっかけて降ろせなかったのかなとは思いつつ、そうしたかったのだなとも考えたりして。

大気の外から観測するのと、内側から眺めるのとでは情報量が違ってこよう。大国同士の争いは、地球そのものをあらぬ方向に向けていくので、可能な限り対話で解決をして頂きたいのだ。改めて思うのだが、何かをやらかそうとした時に、地球規模の壮大なお話はともかくも、影響が及ぶ範囲を想定して、少なくともその範囲においては情報に共鳴をお願いしないととんでもないことも起こりうるのだなと言う知恵としようと思った次第。

目の前で発生したことですら全てを見ているわけでは無い。目の前で何かが起こったとしても、その起こる前段階は誰が何時準備したのか。何が誰にどんな想いをさせるのか。技術経営のMOTみたいなものなのだが、要素から価値の流れを考えた時に、見えるものは価値でしかない。その価値がどのような仕組みで成立しているのか。そして自分は何故、それを価値と思うのか。自らを客観視する必要もある。映像の中で、白い破片が飛び散っていく様を見て、難しい問題のトリガとなるのだろうと不穏な空気を感じた私であります。