学び続けねばならぬ

小生が滞在しているエリアは名古屋市の「際」であって、直ぐに他の市町村に接続される。そのエリアを概観してみると、名古屋に接続される道路が新たに作られ続けていることに驚かされる。労働集約が起こり始めているのかと思ったりするのだが、それと同時に、昨年まで広大な農地だったところに巨大なロジスティクスセンターが建ち、第一次産業の場が第六次産業の最前線へと生まれ変わっているのだなと感じる。ちょっと待てと言いたい。第一次産業が無くなると第六次産業も成り立たないぞと。

賃金をアップせよと首相他、政治家諸氏が叫ぶのだが、リスキリングやリカレントは「社員が知恵を付けて他社に逃げる」と、社員の頑張りの足を引っ張るような企業トップに響くわけがない。世界から遅れまくっているものしか作れない企業群は、学んだ者の受け皿にはならない。挑戦が必要なのだ。必死に何かをやり続け、それが社会に受け入れられてきたとするならば、新規のスタートアップ企業にとっても必要な人財となる。賃金をアップせよという前に、そんな者を活かす政策を打つべきだ。

保育園を含む児童養護施設に勤める者の給与が余りにも低いという報道を見た。子供を持つ親に支援ををいう前に、社会で子供を育てる仕組みに手厚くするべきだ。子育て世代への支援など、その後で宜しい。社会全体の問題は大人の世界だけではない。むしろ、子供の世界にこそ目を向けねばならぬ。投資をせねばならぬ。投票権を持っていないからと児童を無視してはならぬ。国を思うのなら、子供たちを思わねばならぬ。

カーボンニュートラルもSDGsも大人の都合で語ってはならぬ。児童に関わる者は須らく学び続けねばならぬ。最新の情報を学び、それを育てる機能ととして高め続けねばならぬ。三つ子の魂百までは間違っていない。三つ子まで、熱く接しねばならぬ。それをおろそかにして、4割弱しか投票に行かない大人達に忖度する必要などないのだ。教育に携わる者は学び続けねばならぬ。義務である。