座標

国際法によってその権利を認められている領域に、破壊のためのミサイルが撃ち込まれた。報道では「落下した『らしい』」として、それを断言しない。政治家諸氏からの口からも同様の発言を報道から聞き知った。国民に真実を告げず、国とは何かを国際法上の観点から説明もせず、『らしい』で逃げてしまう。こんな国だから防衛費を無限に増やし、教育に掛かる費用をゼロにしていくことがまかり通る。

これもTVの報道からだから、真実かどうかわからない。映像で見た落下物の火炎は2方向の固定カメラから観測されていた。固定点は決定されているわけだから、周辺映像の印影との直線関係から、その落下点は導き出せる。それは騙しようがない。もしもTVの映像が真実であるということであるならば。マスコミの報道が真実であるとは思っていないが、仮に真実であるとしよう。すると、撃ち込まれた点が定まることになり、EEZ内か、そうではないかが定まる。海岸線は決まっているわけだからね。

国際的に主権の領域に敵対的兵器を撃ち込まれたわけで、憲法解釈において、攻撃をされたわけだ。その定義を昨年来、散々やってきたにも関わらず、いざ、そうなってみると無かったかの如くに逃げてしまう。議論を放棄してしまう。議論をしない者は政治家ではないわけで、まぁ、いつも言うけれど、それを選んだ国民を映す鏡だ。そんな国だから、ぼんぼことミサイルが飛んでくるのであろう。

尤も、何を言っても聞かない者との議論は無駄ではある。ただ、EEZ内に撃ち込まれたと、正しい情報は国民と共有するべきだ。その情報をどのように活かすのかの検討も出来なくなる。真実は一つだが、解釈はいろいろとあろう。それは否定されるべきではない。真実が不明確では、議論しようがない。議論をするから人間である。答えだけ求めても、人の数だけ答えがある場合もある。そんな時にどこかに集約しようとするならば、真実が必要だ。その真実すら与えない政府は、もはや、国民の代表では無い。