脱私物化

どうも私物化という概念は無くならないものですね。そりゃぁ、身銭切って購入したものは私物でしょう。それを否定するものでは決して無いですよ。人事のこととなると、そのポストは自分のものだとか、採用したのは自分だから、自分のものだとかね。そりゃぁもう大騒ぎ。組織に属しているからには組織全体の一員と見なさずに、何故だか自分のものと思ってしまう。気に入らないと排斥するしね。どうも偉くなればなるほど、その傾向が強いようだ。

選挙なんかでも、親が引退したらその票を子が受け継ぐとかね。あれも見事な私物化で、極めて醜い所業である。そりゃぁ、優れた人物ということかもしれないけれど、昨今、子供を秘書に置いて買い物させるなんてのは、正に私物化の極致だね。正しいのだと言い張るけれど、そんな人の言う事を真に受ける国民がどれだけ居るのだろう。この国の経済の停滞の要因の一つに、そんなことがあるのではと思うわけだ。

何をするのかというところにも私物化がはびこる。新規事業創成にチャレンジしようと意見が出ても、前例がないからダメだとか、成功事例が無いから駄目だとかね。これも見事な私物化で、社員のやる気迄私物化して奪ってしまう。新しい事、次々とゲームチェンジが起こっているのに、旧態依然を私物化していく。法律の改正も極めて遅く、議員立法も殆ど出て来ないから、何十年も前の規則に縛られて、世界の潮流から完璧に置いてきぼりを食っている。それでも旧態依然を私物化していく。

脱私物化は挑戦である。何から何まで新しくする必要は無いのだが、降る雨が少なく成ったら山からの栄養が足りなくなって、海苔がまともに育たないなんてね。瞬間瞬間で判断しなければならないのに、その機動性が無い。今までは良かったから、これからもそのままで良いなんてものは無いと思って良いのだ。日本は安全だなんてことは無くなったのは、新聞を見るまでも無い。挑戦して失敗する。当たり前が許されない社会に未来はない。そう思う。