DXは意識改革

日本ではDXが進まない。いや、進めないように誰かが強烈に力を発揮していらっしゃるのかもしれない。例によって信頼できる方からテキストマイニングは面白いと、遠方から教えて頂いて、それを自らに当てはめてみると、主張したいことが浮き彫りになっていて、これは面白いものだと、テキストマイニングツールだけは使っている。自らのプレゼンを録音してAIでテキスト化して、それをテキストマイニングをしてみると、これを言いたかったとか、単語同士の関連性などをわが意を得たりで明示してくれる。

自分の主張だから納得できるし、相棒の様に使い始めているわけだが、他人の発言等々に当てはめてみようとは思わない。本気で言っているのかどうかも解らないしね。話が完全にずれてしまったが、DXって変容した姿や社会なわけで、単にデータ化しようとするものではない。中小企業の生産効率性を高めなさいなんて言っているのだが、赤字で消費税が免除されているような仕組みを無くした方が、せいさんこうりつせいは一気に上がるのだろうね。法律の不具合を全国民に押し付けるのはよろしくない。

リスキリングをなんて政府は呼びかけるが、リカレント・リスキリングが必要なのはあんた達だろうと言いたくなるわけだ。リーダーからメッセージとかで、卒業生で社長になっているような人を呼ぶと「自分が学生時代は麻雀しかしていないかった!」と異口同音で仰る。時代は違うのだ。脳内をDXして頂きたいのだ。旧態依然のシナプス状態を改革して頂きたいわけだ。DXとは意識改革の後の姿であって、紙をエクセルに転記しましたということでは無いのだ。データとして活用して変容を遂げた姿だ。

鶴舞大学もDXは遥か彼方だ。紙にハンコが無限に押してあるような状態。紙の帳簿に捺印を求めるようなナンセンスな状態だ。社会の動きに圧倒的に取り残されても、事業所として成り立ってしまっていることがいかんと思っている。企業だったら倒産しているだろうね。そんなところを山積みにしながら、燃料コストで火の車状態とのたまっている。なくせる無駄と必要な無駄とは時違うのだ。なくせる無駄をこそぎ落とさねばならない。見せかけでは通用しない時代である。それだけのことだ。