大きなお会社のミドルとお話をさせて頂いたのだが「結局のところフォアキャスティングから逃れられない」というお話。ゴールから今を見ることは極めて困難だということだ。大企業になればなる程、そう言う事になるのだろう。理想を掲げれば「絵空事」となり、目の前の改善策を取っていくことになる。そうやって国が縮退してきたということなのだろう。挑戦無き者の撤退と言うことがどんどんと続いていて、世界のトップ50社には、既にT社のみが残り、それも30位台ということだ。嘆かわしい事である。
部外者だから勝手なことを言えるのだと罵られるわけだが、部外者だもの、仕方がない。どんな組織もそうで、挑戦を続けなければ衰退する。目の前にあるものに対して新しいアイデアが生まれ、それを望むものはそっちに移行していく。商品のシェアも重要だが、顧客シェアを意識するべき時代であると思っている。環境意識の高い人々にとっては、プラスチック製品よりも、木造製品が好まれるわけだが、コストが大きくなって粗利が小さいからと言って、製造していかないと、顧客シェアどころか、商品のシェアまで失う事になる。
フォアキャスティングとて容易ではないが、それでも明日の改善だけではなく、5年後の世界から自らの商材を見直し続けることは必須である。大学の有り様とて同じである。ASTEM教育を受けて育ってきた者に対して呆れられるような教育ではダメである。時代の変化を敏感に感じ取らねばならぬ。研究も同様で、世界トップの基盤的研究に挑まねばならぬ。それが10年後、20年後の商材の一部となっていくわけだから。今、お金になる研究などどうでも良い。10年後より後に役に立って頂きたい。
バックキャスティングは絵空事や偽善では無い。子供たちに夢を描けと言うくせに、自らは夢を描かないのは詐欺では無いのか。失敗は成功の基と言うではないか。成功を失敗の基としてどうするのだ。「こうありたい」と願って良いのだ。そしてそこにどのようにすれば到達するのかを真剣に考えれば良いのだ。過去の成功体験に引きずられて、その時の挑戦の苦闘が承継されていない状況の日本。荒唐無稽と呆れることなかれ。世界の商材は荒唐無稽であるほど顧客シェアを獲得しているではないか。今の荒唐無稽は明日の当たり前である。挑戦せよ。