国力を縮めるのは人

人口が減っていって生産性云々が騒がれるのだが、その前に、高付加価値で海外に活用して頂けるものを考えて創造することが先だろう。世界の人口が増えて、日本がシュリンクしていくわけで、人口最大、且つ、海外に買って頂けていた時代と同じ生産量を保とうということに無理がある。工場で作れば運ばねばならぬ。運び手も居ない、作り手も居ないで、どうやって同じ数を創り出そうとするのか。

食糧生産も同様なのだが、これなどは圃場の整備と自動化を真っ先に進め、未耕作地などは国が召し上げて、チャレンジしたい若者にどんどんと場を提供すればよろしい。農業こそAI、自動機械を投入していくべき場である。旧態依然の発想は止めて、ゼロベースで農業を考えるべきだ。地面が無い農業もあるにはあるのだが、自然と共生する経済は極めて重要である。適正な価格で売れて、税金もちゃんと払って頂けるようにする。単に政治家の票田と田畑を見る時代では無いのだ。

生産性をどう捉えるかだ。正直に「一人当たりの税収を上げたい」と言いきれば良いのだ。出生数はどんどこ減少するのだし、超高齢化社会において、数の論理は意味が無い。年金生活者から高額の税収は期待してはいけないわけで、となると、若者が生き甲斐を感じて高収入を得られる環境を作っていかないといけない。老害をまき散らして、逃げていくような仕事の場を旧態依然に護ろうとする国には未来は無いわな。

人口推計はかなり当たる。当たるから人の数だけで国力を図ろうとすると、当然の事ながら沈下する。だからこそ、挑戦が必要なのだ。挑戦もせず、若者のアイデアを盗んで、研究せずに利益だけ得ようとする国だから沈下するのだ。博士を小馬鹿にして、学者を低く見るから沈下するのだ。金儲けは知らなくても、モノの道理は解っているのだ。道理を引っ込めて、金だけ欲するから沈下するのだ。挑戦と努力。歯の食いしばりと血のにじみを知らない者は退場するべき国である。それだけのことだ。