雨である。しとしとと降っている間はなんの問題もない。豪雨となると災害と勝手に呼ぶわけだが、人間の経済活動を基準に考えるからそう呼ぶのであって、濃尾平野などは大河川の氾濫によって出来上がっているわけだから、感謝するべきである。土砂災害は悪だと、エジプト文明をナイル川の氾濫によって出来たと教えておきながら、何を言うかである。
とある企業人のお話を聞かせて頂いたのだが、その価値が語られなかったことに対して、日本の有り様を感じたわけだ。自分さえ良ければ宜しい。これでは大学は要らないと言われても仕方がなかろう。自らの研究は圧倒的に素晴らしいと言うのなら、圧倒的驚きか、感動を与えて頂きたいものだ。遥か年齢が下の方から、あぁそうですかとなるお話は苦痛である。
自らの思考が古いのはわかっている。当然なのだが、そんな事があったのかと、驚きがあることに幸せを感じたいのだが、それ、ゴールが見えているでしょと言う事を研究だと言われてもね。税金を使うべき事ではない。自らを省みてどうであろうかと日々、思わねばならぬ。
今日が終われば、生きていれば明日が来る。歌舞伎俳優が何を思ったのか知らぬが、自らの能力を他の人々の感動のために使い続ける事に疲れたか?俳優と言う職業もその他の職業も似たようなものだなと思わせて頂いた。苦悩の中に光を見出さねばならぬ。お仕事とはそんなものか?光明とは上手い単語だ。そう思う。