自動運転

電気自動車の面白いところは、人と街と世界とが繋がったモビリティであるということだ。電力や水素の供給インフラの整備も同じで、水素と言う新しいインフラが入ることで、待ちで可能になることも多かろう。水素燃料電池車がどれだけ増えてくるか解らないが、給電網を使わずに電力が局所発電される様は、理想的とも考える。世界中で水素発生競争となっていることが理解できる。太陽から与えられたエネルギーを人間が活用可能な水素に変換していく手法開発に世界中が取り組むべきだろう。

核融合炉という究極のゴールがあるにはあるが、トリチウム燃料を無限に産みだしている原子炉があるにも関わらず、日本政府は負の遺産を正の資源に変えようと挑戦もしない。生成AIでどたばたしているが、そんなもの、顔認証技術開発でとっくに町中に溢れている。簡単なインタフェースで使えるようになっただけで、骨格技術はとうに世界中に拡散しているわけだ。ツールであってじたばたすることではない。選挙しか興味が無い政治家諸氏に何を言っても無駄だろうが、日本を世界のガラパゴスにして頂いては困る。

電気自動車に話を戻すが、単なる移動空間では無くなるのは間違いない。超高速のGPU、CPUが搭載され、ハードウェアをソフトウェアが制御していく為に、信号伝送、センサ等々、室内環境は当然のことだが、外界との連携もとんでもなく高速に成されなければならず、人体の健康状態を含めて、走り回る快適空間ということになるのだろう。肉体は勿論だが、AIとの対話で心身の状況まで調べてくれて、癒してくれるとかね。

運転が嫌いなわけでは無く、むしろ、好んでいるわけだが、様々な性能の車を様々な能力の人間が動かしている中で、事故がこの世から消える筈はない。人を絶対に殺さないことが約束されるのであれば、世界中の自動車がAI制御の自動運転に更新されるべきだ。日本中の鉄道連結器が一夜にして交換されたの如くに「成せば成る」である。成さねば世界から捨てられる国となろう。そう思う。