Co-Being

人と社会が幸福になるというタイトルでウェルビーイングが語られる。自分の価値観の下、こんな世の中で頑張って、そして愉しみながら他の人々の幸福に関与させて頂けたらどんだけ楽しいだろうかと思える状態がウェルビーイングなんだと思うのだけれどね。でもこの単語は自分さえ幸福であればそれで良いのだって、小生は感じてしまうのですよ。だからCo-ビーイングと言いたくて、共に居るから幸せを追求できるというかね。

自身を偽らないと生きていけない環境がこの国にはあって、まず、個の価値観、生き様を認めるところからでは無いのかなと思うのだ。そんな状況にもなっていないのに、ウェルビーイングとは何事だ。絵空事に過ぎない。いろんな心身の有り様があって、それらが無意識に認められる空気感というか、社会活動の空間というか、それがあってウェルビーイングだろう。ビジョンを描けないところに、誰かを楽しませたいなんて思いは出てこない。

自身が感じる面白い事のつまみ食いでも良いのですよ。それが猛烈に個性的で、その人にしか出来ないのであれば。パーソナルヒーリングツールとしてのAIロボットの進化は、もっともっと深化していくべきで、それによって人が笑顔でいられるならばそれで良いのです。画面だけでは得られない、具体的な構造物が部屋の中を遊びまわって、話しかけてきたら、それはそれで和む気がする。職場に居て欲しいと思うくらいだ。

しかし、人の有り様と繋がらねばならぬ。一方的に与えるリハビリとかね、そんなもので心は癒され無いですよ。経験者が言うのだから間違いない。全身不随になって始めて解ることがある。そこから脱したから思えることがある。Co-ビーイングと言えることがある。大切なのは人から情報が得られ、それがAIによって解析されその人が「普通だな」って思える環境が常にあることなのだと思う。秒毎に想定外が発生する現状では遥かな世界だなとは思うのだけれど、そんな時代に早くなって欲しいと願う私であります。