SDGs考

Youtubeでススキの根を株ごと取り去る動画を見て、ススキと言う植物の強さにある意味感動した。江戸時代までは里山の4割は萱の原料であるススキの原だったそうで、屋根の原料から田畑の肥料にまでなるSDGsの根源だったわけだ。それが今では邪魔者扱いで、株ごと抜き取られて捨てられる存在になっている。SDGsだなんだとうそぶくが、結局は経済の道具としているわけで、2030年までにサステナブル目標の一つでも達成できるのか怪しいと感じている。経済原理まっしくらの世界だからね。仕方が無い。

ススキの株と戦う人達の悪戦苦闘ぶりが凄いのだ。木の切り株を取り去るほうが容易に感じられてしまう。そりゃぁ、樹齢100年の切り株を抜き取るような事になったら半端なことでは無いのだが、ススキの株の強さには感動する。これだけ強いからこそ、屋根の上で数十年、耐えるのだろう。ススキの驚きに、大地を溶かして、自らに酸化ケイ素を取り込んでいるというのがある。これは別の機会に知ったことで、ほぉぉっと思ったことだ。そしてしなやかさを産む進化とはこのような事だなと感心したこと。

ススキだけに限らないようだが、ススキは特にその性質が強いそうで、根っこが大地の原料である酸化シリコンを溶かして、自分の体に取り入れていくこと。酸化シリコンって要するにガラスの原料だから、ススキを大量に燃やすと、その灰の中にガラスが出てくるのだ。小生はがきんちょの頃、おふくろの実家で放置されていた農地のススキを刈り取り、野焼きの後に、大地に飴のようなものが残ったのをはっきりと覚えていて、「あっ、あれがガラスだったのか!」と知ったのが10年くらい前。それ以来、もう一度、やってみたいなと思うのだが、阿蘇の野焼きを手伝うと感じられるかなと思ったりはしている。

興味なんてそんなもんで、子供の頃、神秘に感じたことをじっと大切に思い出しながら育てていると、ある瞬間に神様が啓示を下して頂けるわけだ。そんなススキに対して、人類が悪戦苦闘しているビデオを拝見して「おいおい、それは無茶だろう」と思いながら、知らないと無駄な力を必要とするのだなと、学ぶ理由に気付いたりする。SDGsなんて言うのなら、もっと学んで少ないエネルギーで目的を達成することをすれば良い。省エネなんて言わないで「やらない」選択肢もあって良い。動きたくなくなる灼熱の夏の言い訳にはちょうど良い。