ジョブ型

ジョブ型雇用って聴こえは良いのだけれど、いざ、それを活用した時に、どれだけの能力を有しているかを定量的に表現することを日本人の多くは体験していないなと、日経新聞などを見ていて思った次第。その昔、とっても昔、某社に派遣されてとある装置に関わらせて頂いている時に、海外から来られたプロフェッショナルが、時間があると何かを纏めていらっしゃり「それ、何ですか?」とお尋ねしたら「スキルリストである」と教えて頂いた。

どんなプロジェクトで何を任され、自らが関わることによって、今までに不可能であったことを45%改善している。それを実現したのは自らのこんなスキルということを極めて定量的に示していらっしゃっていて、君もやってみたまえということでご指導頂いた。君なら米国で仕様書ライターになれると仰って頂き、あぁ、就職先はありそうだなと思った博士課程学生時代であった。残念ながらそのスキルは何処かに行ってしまい、こんな駄文で喜んでいる。

このジョブを叶えてくれるのであればいくらのサラリーを出しますよという雇用の仕方は、日本人的に周りの目を気にしてしまうとなかなか難しそうだ。これを終えたから、別のお仕事に移動します、さようならということがフレキシブルに許されるのであれば、能力を活かす社会になっていくのだろうなと考えている。ネットワークを活用しない社会の代表格が日本であるのだが、お盆という日本古来の日程中に「会ってくれ」とか無謀な要求がくる始末。文化違反は許されまい。

バブルに向かう昭和40年代の思考が、ずっと続いてきていると感じている。企業様の強みは何であるかということも、顧客満足を叶える中核技術もなんだかごっちゃになっていたり、誰かが居なくなっても誰かが代替できるということが組織の有り様と考えられてきた。それはそうなのだろうけれども、圧倒的な強みは出ないのだろう。我が国にも数社、そのようなお会社がいらっしゃるが、流石に世界トップを走っていらっしゃる。日本においても真のジョブ型が実現できるのだが、それに挑戦できるようになるには、意識のDXが必要なのでしょうね。遥か彼方だな。