そんなもんじゃない

年収の壁云々が叫ばれ、健康保険だとかなんだとか、結局、ダイバーシティ環境構築など、政治家の頭には無いのだ。そんなもん、撤廃してしまえば良い。しかしながら、助成だの、2年まで扶養だの、全く持って意味不明である。全ての人が平等に全力を尽くして、自らに納得できる働きが出来る環境がある国になるのは、未来永劫無いのではないか?結局のところ、国民が変わらないと政治は変わらないしね。むしろ遠ざかっているように感じる。

一滴の水もお前にはやらない!という中部山岳地方をめぐる争いは、武田・今川の戦いを見るようで、何とも切ない争いである。当事者にしてみれば、自分にとって何の利益にならないことをやらさないということは理解できる。理解できるが、バーターで地元の飛行場に線路引いて、永遠にその保守費用を持たせようという政治家の厭らしさを垣間見る。地方行政ってそんなものなのかなと、政治家なんぞにならなくて(なれないけど)本当に良かったと思うわけだ。

税収が無くても国債をじゃぶじゃぶ発行して、それを発行元が買い上げて現金を市場に還流していく。そして金利はゼロのままで円安を加速させる。子供銀行か?懐かしい銀行ごっこである。どうも大人が不在の政治に見える。もっと地道で泥臭い世界ではなかったのか。一部の強力な取り巻きの顔色を見て、大局を見ない。自分が気に入らないから認めないでは、天下国家は民の為に動いていくまい。

その昔、山奥の身内が村政に立ち上がったが、結局は呑ませてくれたビールの量で得票数が変わるような世界であった。それは今も変わらない。仲良しこよしでみんなで政治を創り上げようという綺麗な心は大切だが、トップは誰かを切るような、最も辛いところに身を置いて、その責務は自らにあると腹をくくり続けないといけない立場だ。そしてスピード勝負だ。朝令暮改が二度も三度もある親会社との戦いに皆で仲良くでは、レミングの集団入水である。そうはさせない。