ちょっとしたことで、久し振りに多摩川べりに出掛けてみた。かなり久し振りで、景色が一変していたことに、流石に都会だなと思った次第。TVでは知ってはいたものの、電車の接続も、本数もやたらと増えていて、これは便利度が猛烈に上がっていて、感激した。当たり前なのだけれど、受益者が増えるサービスは実行され、そうでないものは淘汰されていく。それを実感できるのが東京、神奈川だなと体感させて頂いた。
新しいモノだけに驚かされるのではなく、新しいものが出てくると、近場の旧態依然までが変化していく。その変化を恐れず、挑戦するところも都会だなと感じる。破壊的イノベーションという言葉を、こんなところに使って良いのか疑問ではあるが、駅からのアプローチの庇に取り付けられたスピーカーから、クラシック音楽がほのかに聞こえてきたことには驚いた。ここまでおしゃれに変えていくのか。街全体が変化を楽しんでいるように思え、これから立ち向かう苦難も、なんだか少し和らいだ気がした。
組織的な変革にも挑戦されていて、そのことを申し上げたら「流石に古すぎて何とかしよう」「でも何をどうしたら良いのだ」というところから始めましたとの事。確かに、新しいシステムを活用させて頂いたのだが、ベテランの方々も「なんだこれ?」となっていて、事務方は右往左往なのだが、それを何とも思わず、寄り添ってなんとかしようとされていたのは流石と感じた。これも都会人のスマートさだなと思うのだ。一つの不便が将来において圧倒的利便性を生むと信じて変化を受け入れる。スマートとはこういうものだろう。
新幹線の混雑は凄まじく、16号車に座席を取ったのは何年ぶりだろうか。見事な混雑で、コロナ・インフルが恐ろしくなる。田舎者であるから、マスクは外すことなく、ひたすら身の安全を確保するわけだ。お話を伺ってみると、既に2度もコロナ禍に罹患されたとか、回数を重ねても悲惨さは変わらないとか、そんなお話を聞かされた後だから、猶更であった。駅のホームに降り、16号車迄の長い長い距離を、人をよけながら歩き「この長大さだけは変わらないな」と、これはガキの頃からの憧れであるから、400mの車両長は変わって欲しく無いなと、やっぱりこれもスマートだよなとにやついた私であります。