若い対話こそ

平和のための研究が軍事に使われる。国の意思が異なればそうなってしまうわけだが、かと言って、平和を紡ぐのは対話だし、その主人公は若者のはずで、その交流をお年寄り達が寄ってたかって止めさせる政策はどんなものだろう。勿論、学術スパイを奨励などしない。それは以ての外なのだが、その昔、国際学会等で写真を撮りまくって、技術をかっさらってきた国が、今、同じことをされているということなのだと思うのだ。

学会で撮影禁止の張り紙が出されたのは遠い昔になったが、今でも携帯でパシャパシャと撮影している人間に学会で出会う。出会うと言っても、事務職員になってから学会活動などはしていないので、3年以上も前の事だけどね。何処までが学術交流で何処からか学術流出なのか。勤勉で優秀な人通しが仲良くなって、国同士が仲良く成ればそれが一番の経済効果なんだろうにと思うのだ。地球は決して大きくはない。そんな小さな星で争いが絶えない。哀しい事である。

10月も後半に入ろうというのに、日中は上着を着ていると汗ばむ陽気である。CO2排出を止めましょうと言って、水素燃料電池自動車を正しいとするわけだが、水素発生、水素貯蔵にどれだけの大きなエネルギーが必要か。トータルの循環の中において、CO2排出を停めていかないと決してカーボンニュートラル等にはならない。地球は既に沸騰状態で、未だに太平洋の沖合は30℃の水温を保ち、台風を巨大化させるエネルギーを蓄えている。

地球も小さいけど、日本はもっと小さい。小さい国が世界の為に尽くせるのは知恵と技術しか無いわけだが、その根幹は人材交流である。もっと小さい国会や地方議会の中でちゃんちゃんばらばらやっている時では無い。必死に国の未来に向き合い、広い視野でお互いを尊重し合い本当に成すべきは何かを思考しなければならない。安全保障の根幹はそこにあるだろう。先ずは地球を少しは冷たくしたいでは無いか。冷たくし過ぎて氷河期では困ってしまうけど。そう思う。