おせち料理考

残すところ20日あまりの今年、まぁ、例によっていろいろあったということだが、まだまだ、残りの二十日間。多忙を極める年末なのはいつもの通り。土日は乾物などを見て回ったわけだが、真夏の暑さにさまざまな影響があったらしいと、JAの方から伺った。例年よりも小ぶりな黒豆とかね。おせち料理を手作りする人が減っているということで、入荷も減らしているとのこと。そりゃぁ、煮豆なんてパックに入って300円未満で買えるしね。高価な豆を入手して、失敗を恐れながら一日仕事で炊いていくなんて、もう、物好きの仕事であろう。

12月の声を聴いたくらいから、数の子をはじめ、どどどっとこぶまき等々、お正月食材っぽいものがマーケットに並びだす。週ごとに増えていくのだが、手作り用の乾物などは確かに減ってきている。昨年は身欠きニシンを探すのにえらく苦労した。もうここで無かったら諦めようとなった時に、最後の人箱を入手出来て事なきを得たが、今年はマーケット探査は諦めてネット販売頼みになってしまった。

こうなってくると、新聞広告で見るような、目出度さなどはどうでもよい重箱を買って済ますのと、違わないのではないかと思ってしまう。色とりどりの広告を拝見し、これのどこが正月なのだろうと、古風な思考の己を呪ったりするわけだが、まぁ、伝統の承継は必要と言うことで頑張るわけだが、次につながるわけでもなく、まぁ、お家最後のお勤めと、老体に鞭うつわけだ。教わったことを教わった通りに進めていくだけなんだけどね。

年中行事で済ませられるものは努力すれば良い。しかし、変わりゆく世界の中で、どのように組織を運営していくのかなどは生き物だから昨年の踏襲と言うわけにはいかない。強欲の塊に攻め滅ぼされるなんてことも考えに入れておかないと、完全に足元をすくわれるわけだ。小生などは性善説人間だから、あっという間に足元をすくわれて、はい、さようならなんだけど、やれと言われることがある限りはやってみるけどね。おせち料理に専念する。そんな時が幸せなのかもしれない。自分の為に時間を使う。最大の贅沢である。