観光という点において京都ほどのパワーを持った街は、日本においてはなかろう。インバウンドという点においても世界の認知度は高く、落とすお金の量はとてつもないものだろう。一方で、大混雑はまだしも、芸能人の看板が軒先を飾り、街の美しさという点において随分と普通の街になってしまっていると感じる。観光という観点で出掛けなくなって久しい街、それが小生にとっての京都である。
嵐山に臨川寺という寺がある。嵐山本線の嵐山駅のすぐ近くだが、知っているという方に出会ったことは無い。夢窓疎石が親交のあった後醍醐天皇の皇子の早世を悼み開山した寺である。夢窓疎石は日本中に庭文化を築いた方で、その入滅もこの寺であり、お墓の上に本堂が建っている。その前庭は夢窓疎石自身が一門と共に自らの生きざまを形にして残された、時代が静止しきっている空間である。はっと息をのむ。
現在は拝観は許されず門は閉じられたままである。不逞の輩の侵入が多く、原宿かと見紛う如くの嵐山において、静粛を保つ砦の如くである。恐らく小生が生きている間に再び拝観させて頂く事は無かろうと思うが、庭園の意味を学ばせて頂いた最初の石庭故に、今一度、拝見したいものだと願っている。自らの心の狭さに当たった光を観るというのが観光であれば、これ程相応しい地は無かろう。
日本は大戦で多くのものを失った。しかし、人の息遣いまで失ったわけでは無い筈である。それらが伝わり今に息づくところはまだまだ沢山ある。それらを成長の糧としてどれだけ「若いうち」に体感出来るか。街角のちょっとした遺物、町並みそのものにどれだけ感動できるか。いや、その感動を呼び起こさせて頂ける心を持っているか。電脳の仮想の街ではスイッチは入らない。リアルに限る。