維持することは衰退であるから、昨日と同じことをしていてはいけない。何をどう変えるかを考えて、どれを洗濯するのかに迷ったら、昨日と違う事、思うようにいかないかもしれないと感じたものを選んでおけば間違いない。既得権みたいなものは本来は無いのだ。そうなのだが、妙に縄張りを守ろうとする。それも排除してしまいたいのだが、タコつぼ型職場では既得権を錦の御旗にしがちである。うんざりである。
DXと言いながら、出勤簿が紙とハンコだったりね。そんなものがある企業なんかもう世の中に無いのではと思っているのだが、それも延々と頑なに守られる。会計検査が入った時の為ということなんだけど、検査員だって画面で見るでしょう。他の書類はそうなりつつあるのだから。そうなりつつなのですけれどね。なかなか一気に変えるのが大変ということなのですけれど、やろうとしないからでしょと思う。日本全国で一夜にして鉄道の連結器を換えることが出来たのだから、紙をデジタルになんて一気に出来そうだんだけどね。
出来ないのはやらないからと言われて育ってきたので、どうやったら出来るのかを常に考えるわけなのだけれど、その考え方においても不可思議な事に、ゴールの共有が成されないのだ。一体、何の為の活動なのか解らないまま動いているのだ。現在の活動がどのような微分値、若しくは、新規の成果を生むのか解らずに、板に穴を空けろと言われて、真に受けて空け続ける組織である。これではDXなど実現するわけが無い。
例によって引っ越しのお話だが、捨てても捨てても無くならない書類群。過去の遺物だから仕方がないのだが、PC等々、様々な持ち歩き端末が出てきているのだから、全て電子版で宜しかろうと思ったりもするのだが、世の中的には対面で紙面が良いと断言されるリーダーも未だにいらっしゃる。会議で決まったらそれが絶対だと、自分オリエンテッドを振りかざす。何事も聞き入れないその姿勢には辟易だ。もう十分だ。