その昔、ものづくりの三大能力として、技術の素性を知り、技術の可能性を知り、可能性を形にするなんてことを言っていたわけだ。技術は自社のビジョンの鏡であって、顧客との永続的な約束なんだけど、約束と言うことは顧客のビジョンを実現する手段に選んで頂けるものということだ。要素技術とかコア技術とか、まぁ、単語があるわけだけど、自社の中では顧客のビジョンの実現を叶える技術として中核技術があって、これが外から見える奴。工科系大学で言えば「なんとか学科」ということになるんだろうけどね。これが一般的で他との別化が難しい。
差別化が難しいということは、選び手である受験生にとっては自分が将来、どんな夢を叶えるためにどんな能力を身に着けたいと、はっきり認識出来ているということを前提にして、その中核能力を支える中核技術を獲得できますよと言うフラグが立っていないといけないわけだ。単に物理工学科とか言っちゃうと、何が何だか謎めいてしまうので、そうなってくると分かりやすいところを目指しますわな。はっきりしている女子の皆さんは、物理工学科を選択しないのはそんなこともあるのではなかろうか?
まぁ、大学なので、極端に水素製造学科なんて名前は付けにくいのだけれども、昨今、我が国においても、そののりで尖った専門家を集約して、それを強味にし始めているのも事実だし、少なくなり続ける国民の教育をどう考えるかとしたときに、間違った方向では無いと考えてはいる。如何に思い切って、速やかに舵を切るかということなんだろうけどね。文化的学問はみっちりやらねばならぬ。人間になるということですな。それは失ってはならない。
中核技術って、それを受け取るのは人なのだから、文化的素養はしっかりと土台として持って、要素技術もがちがちに体得しないといけない。そして特色としてコア技術は何なのかを組織として認識して、そこに注力していくということでしょう。10年後を考えて狙いを定めないといけいないのだが、自分の分野が途切れることを忌み嫌っていては発展は無かろう。一方でローテクとなった学問分野も絶やすのはよろしくない。このあたりが難しい。新しさの土台は古きにある。学問とはそんなものだ。