執念?

日本チームのサッカーアジアカップ敗戦の見出しが気になった。熱量が足りないとか、執念が見えないとか。実際にグランドに立っていない人間だから、何でも言えるわけだが、技術の差以上に、競技で活動するのは人なのだから、その人の意思というか、価値観というか、そのレベルでの敗戦ということであろう。外から見ていて感じられるほどに「なにおっ!」という気合が、応援団に伝わってこなかったということだろう。

どんな分野でも同じである。年齢や経験など関係ない。最後は「なにおっ!」が効いてくると思っている。それで負けたら準備も稽古も不足だったというだけだ。技術が劣って、気合も劣っていたら、勝負ごとに勝てるはずは無いのだ。学問で言えば、徹底的な基礎を学び抜き、それを行いながら応用における基礎の延長を繰り返し学ぶ。そして実験によって現象を確認する。それをひたすら繰り返し、自分のものにしていく。それが出来るのは経験が無い若年層ということになるのだが、その熱量を感じることが少なくなっているなと体感している。

エールを送ればパワハラ・アカハラ。コンプライアンスがどうのこうのとあっと言う間にご退場である。まぁ、良いけどね。国立大学が法人化する直前の、教員を送る会での教授先生が仰ったことを忘れない。「僕は逃げ切りました。明日からは大変ですよ。研究に集中出来た自分は勝者です。君達は大変だ」と。定めたことを国に報告することが本当に増えてきた。民主的に定めろと言いながら、学長のガバナンスを効かせろという。会議体は等比級数的に増え、研究者が研究できない国になってきた。

選ばれる大学にならねばならぬ。それは単に当該分野の論文数が増えれば良いという事では無い。質と数の両方が必要である。それは「成し遂げたい」とどれだけ執念深く未知に取り組めるかである。サッカー敗戦の見出しに複雑な思いを抱いた。熱量・執念などという単語に久し振りに出会った。記者氏も同様の年配者であろうか?愚痴にしか取られない表現をして、どれだけの効果があるのだろうか。ご同輩読者の賛同は得られるかもしれないが、プレーヤー年齢層にはその気持ちは届くまい。そんな気がする今日この頃である。