挑戦しようよ

入試本番、共通試験の後、各校の本試験に向けた志望受付の締め切りが報じられた。例年の事なのだが、前年度、倍率が高かった学科は倍率が下がる。要は難しそうだなと思うと毛嫌いされて、組みし易しと思われるとどどっと翌年、応募者が増える。この辺りは予備校がしっかりと指導するそうで、その学科志望なら何処が倍率的に可能性が高くなる等、何を身に着けることが出来るかではなく、取り敢えず合格は出来るであろうという指導が成されている現状がある。

それは何というか、大学の浮沈にも関わってくる。アドミッション、カリキュラム、ディプロマの三種のポリシーがあるのだが、それらと卒業生の獲得したディプロマが一致していないと社会に判断されたならば、教育機関として成すべき事を成していないと判断され、卒業生の受け入れは止めましょうとなるだろう。10年先、20年先の我が国と世界のありようをしっかりと予測し、それに向けた教育が成せるようにしなければならない。

リスキリング・リカレントというところも極めて重要である。企業様によっては明確に「この知識を使える形まで育成して欲しい」と具体的な目標を上げて頂き、且つ、費用も計上して頂けるのだが、多くが、どっかのコンサルに頼むと高額だから、この範囲の何かを格安、出来ればゼロ円で聞かせてやって欲しいなど、教育を見下したお話を投げかけてくる。カラスの方が余程賢いと感じてしまう。これでは日々、企業が無くなっていくわけだなと感じる。

中学1年生の後半に、理科系科目が難しくなってくる。理科系と言えば重厚長大産業で、真っ赤に溶けた鉄が走る様をTVで見て、あれが理系だから文系に行こうと、工学のダイバーシティが保たれていない。確かにそんな場面もあるのだが、多くはそんなことはない。物理は文学よりも愉しい。決まっていない未来があるからなのだけれど、決まったゴールを求める社会の風潮が、そもそもおかしいのだ。決まっていないことに挑戦することを忘れているこの国。異常である。