MRJの大苦戦、世界の航空機設計の概念を立ち上がり前に深堀というか相手の懐に入り込まなかったのがつまづき始めなのだろうが、それだけだろうかと思う。ものづくり業界全てに通じる日本ならではの阿吽という、旧来褒められてきた部分に根源があるのではと思ってしまう。
こんなものを創って欲しいと、目的の仕様が与えられると、極微に細分化された部署がバトン連携の如くに「こんなもの」を目指して作り込んでいく。自らには「仕様」を作る能力は全くないのだが、「こんなもの」は創ることが出来る。何を目的にするかは考える必要は無く、愚直に自ら与えられたことのみをやっつけていく。一見、良さそうに見えるが、行動の価値はそこには無い。
その時、その場、自らの立ち位置だけを考え、組織の価値などは一切考えない。気に入らなければ悪口を陰で言い、自らのみが正義と立ち振る舞う。それが通った時代は確かにあったと思う。思うが、ものづくりはそれを活用する人の笑顔だけが評価されるべきで、利己主義軍団の勝手な言い分など今は通らない。
自らを社会的価値に向けてどのように企画してプレゼンできるか。その価値の連携こそが最終価値を生み出すわけで、それが出来ない集団ではものづくりは出来ない。個人、部署、企業それぞれが価値を最大化する努力を続けることこそ、ものづくり業界の新連携のキーであろう。そうでなければならない。