時間の貧困

米国に入っていく完成車にかけられる税金が2.5%から20%に引き上げられる「かもしれない」という。中間選挙前に保護政策を一気に加速させる米大統領というか米国の民意と言うか、やっぱりそうくるかというところかな。まぁ、日本から行っている自動車はCO2を必ず直接排出するタイプのエンジン搭載車だから、間接的にCO2排出が減り、地球温暖化対策となっていくのかもしれない。一方で、自動車関連部材開発企業群となるとなんちゅうこっちゃとなろう。だからこそいつまでもしがみついていてはいけないということだ。

半導体貿易摩擦が騒がれたのが1987年で、小生は博士課程の学生さんでありましたな。薄膜トランジスタとか、光記録だとか、レーザーアブレーションクラスターモデルだとか、まさに真っただ中の研究者だったわけで、バブルがはじけて就職難に続いて、半導体摩擦でこれまた就職難かと、公務員の給与が目覚ましく墜落していく最中の就職だったから、透けて見える初任給でももらえるだけましと思ったのを覚えている。

日本が頑張っていくとどうやら叩かれるという筋書きがあるらしい。東の果ての国だから、何をやっても良いだろうという外の目と、真面目に頑張る日本人はこれもなんとか耐えていこうというお上の楽観からくるのかどうかわからないが、ただでさえ自動車のエレクトロニクス化とゼロCO2化の流れで次に何を作ろうかシフトの最中の関税引き上げは相当に厳しいところだ。

西洋では農業労働力に家畜を大量投入し、人は時間を活用し思考した。我が国では労働力を投入した結果、一所懸命に努力すれば日常を安楽に過ごせるという石田梅岩の教えに代表されるように、時間の貧困に突っ走っていった。所得の貧困に加え時間の貧困にあえぐ日本に起死回生はあるのかと他人任せにせず、あれやこれやと考えて、何とか広がらないかなぁと結局日夜考えて時間の極貧に陥っている私であります。