シーズ?

相も変わらずシーズ型連携の模索なのだなと、強烈に猛烈にがっかりしたわけだ。何を期待していたわけでは無いのだが、シーズからは何も生まれない。これは極端な言い方なのだが、水も栄養も無い砂漠に撒いても芽吹き、そして生き物を集める果実を付けるシーズを寄越せと言われる気分は、もう辟易である。これを書いている時に、ふと、18年前に、とっても偉いお方から叱責というか侮辱というか小馬鹿というか、頂いた言葉を思い出した。

所詮、SiCなんて材料は永遠にモノにならないから、お前の研究はゴミだ。鶴舞大学ではモノになる研究以外は認めない。俺の弟子達を見ろ!と、大いに怒鳴って頂いた。哀れなお話だなと、完全に忘れていたが、妙な事に思い出した。SiCが新幹線のメインパワーデバイスとして活躍するなんて未来は見えなかったのでしょうね。過去の実績にしがみつく研究者の哀れな末路であるのだが、言いたいことはこれではない。

シーズって、要するに「何処に撒いて欲しいか」も併せてシーズになり得る。もう一歩進んで「こんなニーズにマッチする、ニーズに寄り添えて、ニーズを高め、ニーズの影響範囲をこんなに広げられます」というブランディングと共にシーズを提案する必要がある。その様なシーズはマーケティングが可能である。顧客シェアも推定できるしね。特定分野にどっぷりの方にはピンとこないだろうが、気が付いたら水の無いふろおけに真っ裸で居る事に気付くのかもしれない。

俺たちが売ってやるからシーズを出せという方々を信用する程、間抜けでは無い。しかし、未だにそんな悪行が横行しているのだ。もっと恐ろしいのは、お前たちの育て方を盗ませろと、時間泥棒してくる輩である。この時期、年度駆け込みの報告書作成の為に、インタビューを受けてくれとどんどこ時間泥棒がやってくる。話を聞いて出来るなら、生成AIが世界中の民に食事を提供しているだろう。そうなっていないのだから、聞いただけでは駄目なんだよ。シーズとニーズの有り様すら分からないなら来ないで頂戴。それだけだ。