エントロピー

ずっと言っていることだが、エネルギーと食糧の自給率が100%で無い国は国では無い。物価と給料だけが上がれば国民は納得すると思っている政治家諸氏も総入れ替えの時期であろう。今が良いと、旧態依然を恋してやまない老害も、これにて終了にしては如何かと実感している。老害と言うが、若年層にも老害は多い。気を付けねばならぬ。挑戦という単語を忘れたら、既に老害である。今は変わるためにあるのであって、延長するためのものではない。

エネルギーが高騰しているから、温室栽培の野菜の利益が下がっていく。政治家諸氏は価格転嫁すれば良かろうと簡単に言うが、円安で肥料もべらぼうに高騰して、それらを含めて、人参一本300円ですと言われて、誰がそれを買えるのか?政治家諸氏以外は無理であろう。工業産品にしても、金型素材は勿論の事、刃物もそれを作る砥石にしろ、更に輸送コストだって人件費に転嫁するべきなのだが、目の前の「もの」が一体、いくらになっていくのだろうと恐ろしくなる。

某所で省エネの委員会などに参加をさせて頂いていると、乾ききった雑巾を、よくもまぁ絞って水をしたたらせるなと感動するわけだが、単品・単事業だけでは省エネ、即ち、低価格化は困難であろう。以前より思っているのだが、巨大な工場が農地にどかんと腰を据えることが我が国ではとても多い。食糧自給率を下げる要因ではあるが、そこで出てくる排熱を農業産品の育成に活用するべきなのである。鋳物企業殿に置かれては既に実践されているようだが、水も空気も、エネルギーを付加したものはとことん使っていくという形にするべきである。

工場排水だとか、排気だとか「排」の字を使うと、直ぐに反対運動が起こりそうだが、農薬で汚れた水を河川に流す農業従事者の方がよっぽど生態系に悪影響を及ぼしていることを、我が身を振り返って反省するべきだ。エントロピーの増大過程を制御して、ものづくりを見直していく。エンタルピーだけが注目されがちだが、エントロピー産業学というか、そんな考え方を農業高校とかでやって欲しいなと思うのである。折角ある学理である。人の生きる場面で活用したいでは無いか。そう思う。