脱老害

東大寺の門前で乗用車が人を死に至らしめるという、極めて残念な事故が発生した。他にもご高齢の方の運転の自動車が歩行者を殺傷する事件が無い日は無いという感じがする。何歳だから運転免許証を返納するべきだということは、個人の力量に依るところが大きいので、簡単では無い。しかしながら、生命であるから老化するのだ。これは如何ともしがたい事実であって、どこかで退席しないといけない。一区切りを逃してしまうとずるずるといってしまう。

人の怠惰な精神構造は清新の理想を求めることは無い。どんなに地球環境に素晴らしくとも、自らの生活環境に苦役が見えると、その行動を選択することは有り得ない。他所の国の事だからとやかく言わないが、こんな暴力的な発言をする人を大統領に選んでしまうのだなと、これも同様の審理であろう。苦役を与えないリーダーこそ素晴らしいということなのだろう。ひょっとすると事故を起こしてしまうかもしれないが、自動車が無いと不便なところに住んでいるからという言い訳で、結局は人を殺めてしまう。

戦後のこの国を振り返ると、労働させて頂く有り難さから物資所有の喜びへ意識がシフトした。即ち。人間力向上から金銭力向上へのシフトである。それは見せかけの西洋化による日本的文化喪失へと繋がり、心の繋がりから目に見える愛情表現へ価値観がシフトした。更に創造する努力から平準化による量産へと仕事の有り様が変容し、仕事の創出から待ち受けの姿勢へのシフトに陥った。人間力を向上させない金銭・物質的豊かさが、生みの苦しみから生きる苦しみを創造した。

苦役は嫌だという声は明かに正しい。言われた仕事を請け負って金銭を得ることは間違いではない。高度経済成長は日本人から創造の誇りと達成の幸福即ち「歯のくいしばりと血の滲み」から得られる明日への期待を奪い去った。自動車なんか無くったって、明日への希望はある筈だ。そう、ある筈と言い切れるこの国であって欲しい。残りの命をその為に燃やし尽くしてみよう。そう思う。