アクセル

オンロードの周回では、どこでどんなアクセル&ブレーキングを行えば、車体がどんな方向に進んでいくかは予測が出来る。しかし、オフロードでは時々刻々と路面が変化し、瞬間瞬間の判断を怠ると、直ちに悲惨な結末が待つ。その過酷な環境下でもステアリングを握る者に課せられた精神状態がある。アクセルを抜かないことだ。アクセルは全開のまま、ステアリングとブレーキだけで操舵する。成程と実感する。

研究者においても同様である。自らの研究への情熱はエンジン全開でなければならない。悲惨な結末に至らないようにするには、常に全方位に気を配り予測し、心技体が自然と共鳴させていくことだ。山カンでは無い。天が、空気が、こちらに進めと教えてくれる。その空間との呼吸というか間合いというか、その感覚が世界初の出来事をもたらしてくれる。いくら研究費が潤沢にあったとて、今を基準に明日を語るようでは天は見放してしまう。

アスファルトの上だけを走っていても決して身に着かない感覚である。自動車に限らず、歩くという行為についてもそうだ。両端絶壁のナイフリッジを歩いたことが無い者には、転ぶ前にどうすれば良いのかの判断力は無いから、いざという時にこけることになる。今、自分はどのような危険な状況に陥っているのかを、自らの魂が判断出来なければ、未来への光明などありようもなく、必然、アクセルは踏めず、その場に留まるだけである。

急速に進展する社会の中において、昨日の経験が明日に活きることはない。予測する未来の経験を糧にして今を全力で走り抜けることだ。アクセルを抜くなどと考えてはならない。瞬間に猛烈に魂を燃やし尽くしてこそ、未来が経験となって今の困難を当たり前の如くに打ち破る。砂漠の中でアクセルを抜かないというその一言。重く、そして人間の可能性を感じさせて頂いた。感謝である。