非国産

半導体もアディティブテクノロジー(3Dプリンタが代表事例)も要素技術は我が国にあったものの、それをアウトカムズに転じていく部分の多くが海外頼み。新聞に依れば「どこどこと協業する」とか、単にお金でその場をしのいでいる姿が見える。航空機やロケットなど、数が出ないものはやらないという、まぁ、明確な考え方なのだけれど、そんなことを何時までやっているのでしょうね。厳しい環境で鍛えられた技術は、いずれ所謂量産品と呼ばれるところにも活用されていく。ロボットやAIと接続される機器であるから、人の思考を形にしてくれるパートナーとしてうってつけだ。

従来、重くて高価な金型金属を彫り込む刃物においても、従来型の「相撲エンドミル」的な、ガリガリゴリゴリの単位時間により多くの金属を引きはがすというものは、活躍の場が失われていくだろう。金属の切りくずをリサイクルしていますなんて時代は過去のものとなる。日本においてはまだ当分は続いてしまうのかもしれないけどね。今ある仕事を残そうという浪花節は、この国でしか残らない。化石的企業形態として、ガラパゴス化していくのだろうか。ただし、進化ではなく、退化の方向だけどね。

Z世代の人達云々というのは好きでは無いが、小生的にはエレベーターの中くらいしか接点は無いのだが、世相的には我慢しない人達と感じられる。人のうわさでしかないけれどね。好むところには集中し、しかし、そうであっても苦行を感じると外れていく。巨人の星を求めるわけでは無い。これとてZ世代の皆様には通じないのだろうけれど。だからと言って、先程の3Dプリンタなど、上手に活用できるのかと考えてみると、恐らくそうはならない。活用というからには、使われている状態で最大のパフォーマンスを出す部品を構築せねばならず、材料物性やら材料力学やら、流体力学等々、更には精緻な図面を読めなければならないとなると、徹底的な基礎学力の構築が必要となる。苦行である。

単に、ユーザーであってもだ、マニュアルを読みこなし、装置を完璧に動かせる人にはなれるかもしれないが、それはアウトプット側の活動であって、これからは、アウトカムズが社会でどんな価値を生むのかを理解した社会経済活動が必要になる。ものづくりの装置が海外製に置き換わるということは、それが生み出すアウトカムズを更に発展させる知恵が育ちにくい状況になるということだ。基礎に投資せず、技術価値を金で買う。金の切れ目が知恵の切れ目になっていくのだろう。そんな気がする。