脱カンコツ

カンコツではない国になったらどれだけ強くなれるのかを常に思う。小生自体がカンコツの塊であるのだが、結果は世界共通の分析装置によって評価して、その値と解釈を論文誌で評価して頂いているので、まぁ、後付けで理由が出てくるものづくりではあるものの、「なんでそれが良いの?」という問いかけには答えられるものが多い。多いということは全部が全部という事では無いので、まだまだ楽しみが残っているという事だ。

愛知県には知の拠点という立派なエビデンス拠点があって、誰でも使えるシンクロトロン光センターとして活況を呈している。勿論、それだけではなく、ホームページを見れば、様々な企業様からの要求に応えられる装置ラインアップが頼もしい。何より、その道のプロがオペレーションして頂け、データ解釈まで伴走して頂けるのだから使わない手はない。企業様からの活用が50%を超えるという。これは全国的に稀な事例だと思う。

如何に、ご当地が世界を相手にものを売っているかということの表れだ。カンコツ信用商売など、世界には通用しない。通用しないから、カンコツだけだと直ぐにリコール、一千億円規模のペナルティーなんてことになるのだ。人の命を支えるものづくりなのだから、それは当然である。経験と勘の蓄積が自社の要素技術だなんて言っている時代ではもう無い。となると、採用する人にもそれなりの能力を求めるのは当然で、学生を鍛えない大学はご退場ということになるのも当然だ。

知の拠点は素晴らしい仕組みなのだが、政治的配慮から断層の上に立っていたり、そして何よりも僻地の拠点であることが活用意欲を削いでしまう。僻地故に振動が少なく、分析にはもってこいなんだけど、T中研の辺りは常に混雑するしね。それはさておき、中小企業だから高度分析技術の活用は困難などと言っている場合では無い。脱カンコツ、脱ノウハウである。そんな時代だ。