遥かなる高利少売

高利少売を求めたい。それはものづくり系企業へのお願いなのだが、自分自身では買うものを極力少なくしたいという想いがある。人生の終末期が近づいてくると、なんとなくだが、モノに囲まれているのが煩わしくなる。なんでこんなにモノがあふれているのだと嫌になってくる。研究室などはテーマ新設の度毎に方向性の異なる機械だったり、分析能力の高い装置だったりを揃えていかないといけなくて、まぁ、仕方なく増えていくということはあるのだが、捨てても捨てても湧いてくるそのモノたちの恐ろしさである。それでも床の面積が増えてくると頑張る気力が湧いてくる。

名古屋市のごみ分別の粒度の細かさは有名なのだが、仕分けするのが面倒になってくる程である。これはなんだ、あれはなんだとなってくると、仕分けの速度が一気に低下してくる。ドメスティックなルールもあって、合わせ技で捨てることになる。こんなことになるのなら、最初から入手しなければ良いのにとなるわけだが、まぁ、そうも言っていられない。PCなどは便利なツールで、その形状だけで終わってしまうのだが、今度はデータをどうするのだ問題に直面する。最初から限られた大きさなら良かったのだが、無限の壺に投げ込み続けたら、いきなり親組織が紙皿を配って、その上に載せられる分だけねと言わるとパニックになる。これも必死に小さくし続けている。

最初の高利少売に戻るのだが、七徳ナイフのような万能選手ではなく、1品1機能で、それが極めて高機能で、一度使ったら一生それを使い続ける気になって、しかも一生ものになって欲しいのだ。そうであれば身の回りのものがどんどんと少なくなっていくのではないか。しかし、それを作る側からすると、一度売ったらもうその人には売れないわけで、修理のサブスクなどを考えるわけなのだけれど、その修理すら要らないようなモノが欲しいのだ。爪切りなどは無いと困るが、気が付くと沢山持っていたりする。これなどは関市のT社さんのプレスを使ったものが良いのだが、これは秀逸である。

複数の企業さんの合作と言うことなのだが、床面積を広くとることになってしまうので大手メーカーは絶対にやらない配置を取ったことで、見事な逸品を作り出している。当然のことながら、市場価格は上がってしまうのだが、それを使うと他社の爪切りは使いたくなくなる。こんなものに囲まれたいと思うのだが、まぁ、モノを増やしても仕方が無いからネットで眺めているだけにとどめている。それにしても断捨離は難しい。本などは最たるものである。諦めずに捨て続ける日々である。