法事にて

法事という行事は、まぁ、酷い言い方をすると宗教団体のサブスクで、家族・親族の心の隙間に入り込み、金を出させるイベントである。お世話になったという気持ちは常に持っていて、まぁ、時間を作って墓掃除に行くなどと言うことも、しょっちゅうできるわけでは無いので、無理やり法事だと言われて参集し、皆で線香を手向けるということは良い仕組みなのかもしれない。

宗教団体と国との関係は、今、どんな状況になっているのかマスコミが黙っているので解らないが、まぁ、それはそれとして置いておく。法事を行うのは施主であって、まぁ、金銭管理人である。施主から金銭を受け取って、まぁ、ついでに弁当なども受け取って、馳走に預かるのが坊主殿ということになる。最近は住職が減っていて、法事の際に車でやってくる人となっている。

スリッパをぺたぺた音をたてながら、どんな修行を為さったのかは定かでは無い方がやってきて、扇を畳に投げ捨てるのが作法なのかは存ぜぬが、進行毎に疑問符が湧いてくる。焼香参列者が続いているのに、読経を打ち切り、時間ぴったりに終わることを最優先するのは、次の職場があるからだろうが、気持ちの良い対応とは言えまい。

はたと我に返り、こんな対応をお客様にしてはいないだろうなと、自分の胸に手を当ててみる。そもそも論、目の前の坊主殿に腹を立てているのは、前回の法事で無断欠席をやられたからで、そんなことを根に持っていてはいかんなと思った次第。坊主殿だけに胸に響く講話をせよなどとねだってはいかんなぁと思いつつ、昔の坊主殿は、なんだか立派だったなと感じたのでありました。