お屋敷にて

鶴舞大学の周辺は古いお屋敷が密集していて、数年前から更地化と新規建設が続いている。通勤途上において、素敵だなと感じていた木造住宅が取り壊されはじめた。段々と外壁が剥がされ、間取りと言うか内装が見え始め、床の間等々、立派なお屋敷で勿体ないなと、毎日の事、経過を眺めていた。

昨日、いよいよ更地になったなと眺めてみたら、隣の住宅が良く見える。回り込んでみると境界となっていたブロック塀が根元からばったり、一枚岩となって倒れ込んでいた。ぎょっとしたわけだ。神戸震災の際、倒れるかもしれないブロック塀を点検して、倒れて人が下敷きにならないようにとのお触れがあったような気がしたのだが、古い住宅の奥にあるようなところには手が入らなかったということだろう。工事中に人災が無かったろうか?心配になった。

ふと、組織のルール等々、眺めてみると、善かれと思って創った特別ルールの継ぎ接ぎになって、根本から改定するべきところがそのままになっていたりすることもあり、これはまずい。鉄筋が土台から立ち上がっていないブロック塀と同様ではないか。新しい作り込みということの難しさを感じたのだ。手が入らないからそのままにする。面倒だからそのままにする。

人のやること、誰かが責任をかぶらねばならないこと。責任をかぶれば宜しいだけの事だ。気が付かないことは難しいが、気が付いても「面倒だから」と隅に追いやっていることは無いか。すわ一大事に下敷きで圧死ということにならないか。倒れた瞬間に居合わせたわけでは無いので、その惨劇は妄想するしかないのだが、万が一は起こるものと考えて行動するべきと、自分事と考えたお屋敷の解体であった。