計算工学

敬愛する、既に御退職された教授先生がお伺いしたお話で「工学の工の文字は神様が作った天上界と人間が住まう地上とを結ぶことを意味している」ということ。良いお話だなと妙に印象に残っている。与えられた自然現象の内で「謎?」と感じる事象に対して、人の世に活用できるように仕組みを作っていく学問が工学と言えよう。分からないけど効いているという麻酔などは医学であって工学では無い。工学は原理原則が明らかになっている学問である。

学理を基盤として技術に転換していくことは、いわば伝統芸である。文明と呼ばれる時代において様々な技術が工学によって生み出されてきた。計算機の発展、IoTの進化に伴って形になってきたAI。マテリアルインフォマティクスをベースとしたプロセスインフォマティクスは、理想の形態は何であって、それを機械的に実現するためにはどんな形状で、それはどのように組み立てられるのが最適であるのかを導き出す計算工学は、人がこうありたいと願うことを実現するという観点で、工学の解釈を変える時代の到来を感じる。

所詮は人間が行った解釈なのだから、どんどんと変えていけば宜しい。そもそも、ロボットやAIがこれ程に進化している今、人間がモノづくりを実施するというのもなんだかナンセンスだ。世界中で公開されている知的財産を用いて、AIが人に便利なものを提案してくれても良かろうと思ったりもしている。こうなってくると、自分達が24時間戦い続けて、ものづくりに取り組んできた時代が懐かしい。まぁ、そんな踏ん張りがあったから、シリコン単結晶中の欠陥がどう動くとかね、今のLSI製造に貢献したと想えば、まぁ、良いではないか。

人がこうありたいを叶えている内は、まだまだ工学と言って良かろう。AIがこうありたいをロボットやAIで叶え始めた時、それを人類はどうとらえるのか?所詮人間が考えたことと言っていられる今は、人の可能性を信じることが出来る幸せな時代だ。人間はSDGsの思想に反しますと、AIが地球環境保全のリーダーとして活動し始めると、実際のところ、無慈悲なまでに環境保全に向かうのかもしれない。それが神様が与えた工学が産んだ技だとするならば、それは神が望んだことか。そうかもしれない。