白黒付かない

学生時代を思い出すのは、もう、かなり無理な芸当なのだが、人間機械論だの、世界国家宗教だの、不可思議な課題で学ばせて頂いたおかげで、その道に関してはオープンエンドな対話が出来るようになっている。クローズエンドな人との会話は辛い。分野的にクローズエンドではないと許しがたい人種なのでしょうけれど、51%対49%みたいな場面でも、51%側だけが正しいと判断出来るのは、ある意味羨ましくもある。自分の哲学だけが絶対に正しいという輩も羨ましく思う。

羨ましいなんて言ってはみたが、まつりごとをつかさどっていると、そりゃぁ、一方的に「こっちだろ!」と決めつけたくなる時もありましたけどね、しかし、それはまつりごとでは無い。どうぞご自由になさって頂ければと常に思っている。今も「なんとか長」のお役を頂いているわけだが、これとて、判断の連続で、中期目標・計画の期をまたぐところまで考えてジャッジしていく必要がある。いろんな噂ベースでしかないのだけれど、国の稼ぐお金が減っている以上、楽観的方向に行くはずはない。

日本の研究論文の力強さが落ちているなんて言われるのだけれど、そりゃぁ、円安で、一本の論文を投稿するにしても決して安いものでは無いからね。運営費交付金で分配される基盤的活動資金では、部屋代や講義の準備、大型設備活用費用などで消し飛んでしまうから、特にものづくり系の研究者は何等か、外部資金を獲得しないとにっちもさっちもいかない。材料開発などは「こっちが正しい」なんてジャッジはそう簡単に出来ないから、パラメータを振ることにお金と時間を費やすわけだ。

生成AIが全てを判定してくれて、その通りにやってみたらその通りになったなんて研究者は無用なわけで、まぁ、こんなことに関してであれば「そっちが正しい」と言えるんだけどね。他人の論文のトレースだったり、学会で聞いた情報の隙間を狙ってみたりね。もう、いい加減に辞めてくれないかな?と言いたくなる。やっぱり学生時代の不思議な学問への接触は極めて大切だ。それも真剣に、必死に接触せねばならぬ。リベラルアーツとは生涯の方向性を決める。そう思う。