迷子でも

今の瞬間を大切に思って、猛烈に強烈に生きようと思っても、親が作った過去に縛られたりね。実は選択肢は無限にあるのに、出逢ってもいない未来に不安を感じて、自らその道を閉ざしたりね。言われるままというのは嫌なのだけれど、自分の心の中に棚を作って自らを隠し、他人に責任があると逃げまくる。未来に保証なんて何もないからね。不満を抱いたら自分の責任から逃げるために。

小学生の2年生頃だったと思うのだけれど、畑の中で迷子になったことがある。巨大なぶどう棚が広がる中で「確かこっちだったな」と、近道と思って入ったのだけれど、1970年代の畑なんて、獣道が続くだけだから夏草があっという間にそれを塞ぎ、進むべき方向なんてわからない。経験が無い人には解らないだろうが、見上げてもブドウの葉が空を覆い尽くし、太陽の方向も分からない。夕暮れだったからね。

ただ、ぶどう棚というのは、端っこがあって、針金を張るためのコンクリートの支柱が四方に立っている。立っていると言っても斜めになっているのだけれど、それは東西南北の面を作っている。その土地は元々が田んぼで、真四角だから、それを知っていたから、その柱沿いに走っていればいずれどこかに出ると、必死に走ったことを覚えている。見知った神社に繋がる道に出て、神様に導かれたかなと今でも思っている。

自分で迷い込んだら自分で走り抜ければ良い。人に言われて迷宮に飛び込むと、時が経つと何をやってきたのかなと、抜け出せない自分と導いた輩に腹を立てるだけだ。今、目の前のことに時間を掛けるべきだ。それは自らが見つけて飛び込んだ道の無い世界ならば納得できる。今を猛烈に強烈に生きて楽しむ。きっとできる。