学びは

アンテナが高いお企業様は、要するに嗅覚が鋭く、新規挑戦案件に向けた無料で高品質の講座が受講できるとなると、とことん、学びそして智慧を高めていく。知恵と智慧は違った意味で、この戯言では活用しているのでご注意を。世の中には大きなファンドで社会変革に挑戦する企業や大学をアシストするものがある。その成果は挑戦者が最初に活用する権利があるわけだが、そこだけに閉じてはもったいないので、御上はそれを活用して新たな事業創出に挑戦する人を育てる仕組みを持っている。

その存在は秘められているわけでは無いのだが、受講する敷居は高いのは間違いないのだが、Youtubeを活用して講座を公開していたりするから、無意識に見ている方もいらっしゃるかもしれない。しかしそれでは勿体ない。勿体ない理由は、講座に出席すると、ビジョンは違っても、同じ機能を活用しようとする人との交流が成されないからだ。教育の価値は人同士が活性化させあうことにある。

ネットワーク大学もそれはそれで良いのだが、学ぶ他人を見て、学びの成果をあんな風に使おうとしている人が居るのだと、自らとの違いを知り、そしてそれを認め、納得し、自ら活用できる考え方があれば、それを活用させて頂く交流の機会が少なく、また、交流密度が低いことが残念なところだ。卒業したら二度と同級生と会わないというのはもったいない。

年末調整で、扶養者控除の傘の下に入る金額などが問題になっているが、そんなルールそのものを吹っ飛ばして、一人一人が思いっきり活躍できる社会に向けて動いてく為には、質の高い学びが広く、学びを他の人のために活用しようという志を持った人に届くことが重要だ。どんな立派なお神輿も、蔵の中で大切にされても価値は無い。人々の活性化と言うOutcomesを生んでこその価値である。学びは価値を持たねばならぬ。そして学んだ者はOutcomesをもたらさねばならぬ。