古いファイル

昨日、ひょんなことから古いプレゼン資料を発掘して、仲間内で眺めてみた。12年の歳月を経てもちっとも古臭くなく、且つ、積極的で教育的だ。妙に説明臭くなく、現在のプレゼンスタイルの骨格は変わっておらず、大したもんだなと自ら想う。なかなかに良く出来ていて、やはり研究はいいなぁと思った次第。

過去を振り返るなんてことはほぼほぼしないのだが、時には太古のファイルを発掘して眺めてみるのも良いなと、クラウド上のファイルがどのくらい古いのだろうと、興味がわいた。わいただけで実際に発掘しようとは思わない。学生時代は万年筆と紙だし、助手になってから漸くNEC98以外の機械が出てきたくらいのものだ。そんなころの一太郎のファイルは読みようがない。

幻の電子本もその頃の出版で、今となってはリーダーすらなくなっているのではないかしら。ツールを発掘したとしても今のOSにはインストールできないだろう。このあたりは紙の媒体の強さだね。腐らずに残っている。大したもんだ。電脳のある風景なんて一体なんなんだなんて今更思うが、現代のスマホ社会を予見する20年も前の作品だ。

ふと気が付くと、自らのPCの壁紙は安藤広重の東海道五十三次の鳴海宿。これなどはもう100年以上も前の代物。流石だと思う。文化まで昇華するとこのようにして残るのだと、自らは何もしていないなと寂しくなってくる。ざっと眺めてみると2005年くらいからかなりのファイルが残っている。2004年に産学官テクノプラザ名古屋なる、当時の産連活動のファイルを見出した。流石に下手っぴぃだ。若干は成長したかなと思いつつ、ちょっと振り返るのも悪くないかなと、にやけてみている私であります。